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最高裁判所第二小法廷 昭和26年(れ)2125号 判決 1953年3月27日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人鍛冶利一の上告趣旨第一点について。

所論は被害者大部栄の死亡当時(昭和二三年一一月一二日)、原判決挙示の鑑定書の記載どおり同人が六ヶ月に達する胎児を妊娠していたとすれば、原判決が被告人は昭和二三年七月頃右被害者と情交関係を結ぶに至ったと認定したのは実験則に反するというのである。なる程、原判決の証拠説明中に「鑑定人安斎徹の被害者に対する鑑定書中被害者が妊娠六ヶ月に達する男性の胎児を有する旨の記載」とあって、原判決は右鑑定書の記載を証拠にとっていることは明らかである。しかし、もともと右鑑定書は昭和二三年一一月一五日平市在住医師安斎徹が裁判官吉井信男の命にもとずき現場において被害者の死体解剖の上作成したものであって、そのうち同裁判官の命じた鑑定事項の六「妊娠し居るや否や」という項目に対して「……子宮腔には妊娠六ヶ月に達する男性胎児を有す……」と述べているのである。即ち右鑑定事項は妊娠の有無についてであって、医学的に正確な妊娠の月数を求めているのではないのである。しかも鑑定書は妊娠六ヶ月と断定した経緯を明示しておらないばかりでなく、死胎によって妊娠月数を正しく算出しようと思えば胎児の重量と大さとを測定すべきであるのに、本鑑定ではこれを欠き、鑑定書によれば「子宮は妊娠子宮にして大さ小児頭大なり。子宮底の高さ臍部に達す。」「臍帯の長さ二三糎、胎盤の大さ直径一三糎なり。」との所見をしたのみでたやすく胎児は妊娠六ヶ月であるとの意見を附したのである。従って右は鑑定書の記載自体からみるも妊娠月数の算出としては疎漏の譏を免れないであろう。要するに原判決が「その結果同女は妊娠し」と認定するについて証拠としたところは右鑑定書記載中妊娠月数に関する記載の部分は含まれていないのである。されば原判決の証拠説明としての右鑑定書の記載の指摘が稍々適格を欠いた嫌があっても、之をもって原判決の認定に実験則違反の点は認めることはできない。論旨は採用できない。

同第二点について。

所論は被告人は被害者栄と情交関係は結んだけれども栄が妊娠したのはその結果ではないという前提に立って、原判決の殺人の動機に関する証拠の取捨とその価値判断とを争うものであるから適法な上告理由ではない。本件妊娠の事実に関する原判決の認定が実験則に反しないことは前段説明の通りであるばかりでなく、論旨指摘の証拠以外に原判決挙示の証拠即ち司法警察官の昭和二三年一二月一五日付被告人に対する訊問調書の記載(記録一八五丁以下)を併せ考えれば判示事実は認定できるから原審の事実認定が経験則に違反しているということはできない。されば右経験則違反を前提とする憲法三一条違反の論旨は採用することができない。

同第三点について。

所論被害者死亡の日時に関する主張は結局原判決の事実誤認の主張に帰するばかりでなく、右事実の認定には実験則に反する点はないから論旨は理由がない。

同第四点について。

原判決が証拠とした所論第一審第三回公判調書中大部ナオの供述記載及び発信者大部ナヲ名義の被害者に宛てた手紙一葉(証第二十号)は証拠能力がある以上、論旨は事実審の裁量に属する証拠の価値判断を非難するに帰するから適法な上告理由ではない。

同第五点について。

所論司法警察官の証言の価値判断を非難する論旨は適法な上告理由でない。右証言が証拠能力ある以上はその採否と価値判断とは原審の健全な裁量にまつところであるから、論旨違憲の主張はその前提を欠き採用できない。

同第六点について。

記録を精査しても所論司法警察官の昭和二三年一二月一五日付被告人に対する被疑者訊問調書並に検事の同年一二月二二日付被告人に対する聴取書中判示事実に照応する部分の各供述がそれぞれ強制による自白であると認めることはできないから論旨は採用できない。

弁護人勅使河原直三郎の上告趣意第一点について。

原判決は被告人の自白以外に他の証拠をも綜合して判示事実を認定しているのであるから、所論違憲の主張はその前提を欠き採用できない。

同第二点について。

論旨は事実誤認の主張であって適法な上告理由ではない。

よって刑訴施行法二条、旧刑訴四四六条により裁判官谷村唯一郎の意見を除く他の裁判官一致の意見で主文の通り判決する。

裁判官谷村唯一郎の少数意見は次のとおりである。

弁護人鍛冶利一の上告趣意第一点は、原判決が証拠として挙示した鑑定人安斎徹の鑑定書の記載によれば、被害者大部栄は死亡当時(昭和二三年一一月一二日)妊娠六ヶ月に達する男性の胎児を有していたのである。然るに原判決が認容した第一審判決は、被告人は昭和二三年七月頃より大部栄と情交関係を結ぶに至りその結果同女は妊娠したと認定したのは実験則に反するというのである。これに対し多数意見は、右の鑑定を命じた裁判官の鑑定事項六に「妊娠し居るや否や」とあり、この項目に対して鑑定人は「……妊娠六ヶ月に達する男性胎児を有する」と述べているが、右鑑定事項は妊娠の有無についてであって、医学的に正確な妊娠の月数についてではないのであるから、第一審判決が「その結果同女は妊娠し」と認定するについて証拠としたところは右鑑定書記載中妊娠月数に関する記載部分は含まれないのであると断じ、そして原判決の証拠説明としての鑑定書の記載の指摘が正確を欠いた嫌いがあるに過ぎないと判示して論旨を排斥しているのであるが、およそ専門家である医師に対して屍体の鑑定を命ずる場合その鑑定事項の一として「妊娠し居るや否や」との項目があるとき、これは単に妊娠の有無だけを知るのみで足り、医学的に妊娠月数についての鑑定は含まないと解することが常理に適うことであろうか。しかも苟も犯罪捜査の必要上、裁判官が妊娠の有無の鑑定を命ずる場合単に妊娠している、妊娠していないというだけで、妊娠している場合その月数が不明確とあっては、周密を要する犯罪捜査の資料としては何等の役に立たぬのである。従って専門家である医師としてかような鑑定を命ぜられたとき解剖の結果妊娠して居れば、その月数を鑑定することは当然であり、また鑑定を命じた趣旨もここにあると見るのが常識であるのである。それなればこそ本件鑑定人は前記鑑定事項に対する解答として胎児の月数を医学的に鑑定して記載しているのである。然るに多数意見が鑑定事項として妊娠の月数を求めていないと独断し、原判決の証拠説明としての鑑定書の指摘が適確を欠いた嫌いがあると称して鑑定書中妊娠六ヶ月の記載が恰も無用なものでもあるかのようにこれに眼を蔽い原判決の不備を看過することは常理に副わない判断であって、私の納得し得ないところである。このことは決して多数意見のように証拠説明の、よし、あしの問題ではない。原審が被告人と被害者との情交を結んだのが昭和二三年七月頃でその結果被害者が妊娠したと認定している以上胎児の月数如何は、被害者の妊娠が果して被告人との情交に因るものであるか否かを決定する鍵であって本件の犯罪事実を判断するにつき極めて重要な事項であるから、(若し胎児が被告人の子でないことになれば一審の事実認定は事実に反することとなる)本件において鑑定書に示されている胎児の月数は妊娠の有無と不可分的関係にあるものであり、鑑定事項の範囲外であるとか、証拠説明としての鑑定書の引き方が適確でないとかの単なる形式的な措辞で片付けることは無理に原判決の不備の辻褄を合わそうとするものとしか思はれない。そして記録を精査すると胎児が被告人の子であるか、否かは多分に疑問の存する本件(被告人は検事にも、一、二審の公判廷でも月が違うから自分の子ではないと否認しており、これを裏付ける証言もある。また被害者も生前一言も被告人の子であると何人にも話したことはない。たゞ被告人が司法警察官の取調に際し被害者の妊娠が自分との情交の結果であるように答えている節があるが、これは取調の情況と供述の全趣旨から見て明確を欠くところがある。)において科学的証拠方法である医師の鑑定の結果は最も重要な資料である。しかも原判決は犯行の動機として被告人が被害者と情交を結び、その結果妊娠したことを掲げているのであるから、被告人との情交に因る妊娠であることを証拠によって明らかにしなければならぬことは言うまでもない。然るに原判決は上記の如く被告人と被害者との情交の時期を昭和二三年七月頃と認定し、その結果被害者が妊娠したことを認定して、その証拠として「鑑定書中被害者栄が妊娠六ヶ月の男性の胎児を有する旨の記載」を引用したことは、情交の時期に符合しない妊娠の事実を認めたことになって明らかに実験則に反する違法があるといわなければならない。そして右の違法は判決に影響を及ぼすことは上来述べたところによって明らかであり、且つ著しく正義に反するものであるからこれを破棄して原審に差戻し、更に審理を尽させることが相当である。

(裁判長裁判官 霜山精一 裁判官 栗山 茂 裁判官 藤田八郎 裁判官 谷村唯一郎)

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